長崎への旅【暫定版】
長崎に行ってきました。
ふつーに観光したのですが、死ぬほど歩きました。
時間がないのでとりあえず暫定版をアップします。
観光ルート | |
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準備中 |
東山手を歩く | |
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空港からバスに乗り、長崎新地で下車。 そこから5分程度で今回の旅行の入口、大浦東山手居留地跡へ向かいました。 スタートのオランダ坂ですが、居留地に続く坂は全て「オランダ坂」らしいです。 この坂が傾斜の緩やかな坂とのことで、ここからスタートしました。 |
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東山手十二番館。 東山手に残る洋館では最古の建物です。 |
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東山手洋風住宅群。 7棟の洋館が残っており、資料館やレストラン「地球館」として使用されています。 残念ながら、レストランは水曜定休のため入れませんでした。 |
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洋館群のある場所がわかりますか? そう、鬼のような坂の途中にあるのです。ルートの選択を間違えると、この坂を上ることになります。 |
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グラバー園を歩く | |
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グラバー園最上部にある旧三菱第2ドックハウスです。 三菱重工長崎造船所第2ドックのそばに明治中期に建てられたそうです。 長崎の洋風建築は、ほとんどがテラスで横浜で見たサンルームは見かけません。 |
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2階のテラスからの眺めです。 港や稲佐山が一望できます。 |
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旧ウォーカー邸の側面です。 東山手の洋館もそうでしたが、屋根は「日本瓦」なんですね。見事な和洋折衷です。 |
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ちょっと飛ばして旧グラバー住宅です。 グラバーさんは幕末、長崎で武器商人を営む一方、倒幕から立憲君主制国家成立に向け、龍馬をはじめ多くの志士を援助した人です。維新後は、近代国家への発展に向け、造船や炭鉱、水産、鉄鋼、造幣、ビール産業などの分野を開拓したりと、「近代国家日本」の成立に重要な役割を果たした人物なのです。 |
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龍馬をかくまっていたといわれる屋根裏部屋です。グラバー婦人ツルさんの部屋の前の廊下の天井に入口があります。天井まではかなり高いのではしごがないと出入りできません。 |
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龍馬を歩く | |
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公会堂前電停から眼鏡橋を経由し、風頭公園に向かいます。 電停から徒歩5分で眼鏡橋です。 |
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晧台寺にある近藤長次郎の墓(小曾根家墓地内にある。)などをみつつ墓地の中にある階段を上り風頭公園に向かいます。 が、これが死ぬほど急で、長い階段です。 はじめは港がきれいに見えるなーなどと余裕でしたが、そのうち息切れ&筋肉疲労で休み休みなんとか上りました。 上った先に風頭公園があり、そこには龍馬の立像が。 腕を組んで港の入口を見つめています。そばには、司馬遼太郎先生の『竜馬がゆく』の碑があります。 |
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龍馬が見つめる港の入口です。 入ってくる船をみて、希望が現実になっていくのを感じていたのでしょうか。 |
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龍馬像から亀山社中跡に向かいます。 「龍馬通り」と名づけられた階段を下りますが、やはり急な階段です。(墓地の階段よりはずっと立派) |
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亀山社中跡です。 昔(といっても1年ちょっと前)は公開していましたが、現在は中にはは入れません。 長崎市が所有者から買取る交渉をしているようですので、がんばってもらいたいものです。 社中に関する資料は、現在、亀山社中資料展示場で公開しています。 |
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亀山社中跡から亀山社中資料展示場へ向かう途中にある龍馬のぶーつ像です。 | |
亀山社中資料展示場では、古写真等の資料を展示しています。が、龍馬の柱は当然ありません。 |
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